高知に灯しあげで帰っていますが、台風の影響で街は閑散としていて
私自身も雨と風の音が空気をつんざく中部屋で待機です。
ほっしー散歩といいたいところですが、傘をさしても傘が飛んでいき
傘を差さなければ大雨で全身びしょ濡れです。
にっちもさっちもいきません。
なので台風の思い出を書きたいと思います。
台風の進路から行くと高知県は直撃だー
台風10号はゆっくりと進んで四国に上陸してきました。
時速20kmのスピードなのでまるで自転車をこいでいるくらいのスピードです。
ゆっくりなので一所に停滞すると雨と風が舞います。
もっとスピードが速ければ、あれ?もう雨と風がなくなっている。
というくらいの感覚で通り過ごすことができますが、
今回の台風はあまりの遅さにしびれを切らしているそんな感じでした。
わたしがまだ高知県に住んでいたころはしょっちゅう台風が来ていました。
古くは、昭和45年の土佐湾台風が有名ですが
流石にわたしも生まれていないので詳しくは書けませんが、(実は9歳でした(笑))
亡くなった両親から当時のことを聞くとそれはそれは凄かった、、、らしいのです。
それからというものいつしか高知県は銀座もないのに台風銀座と呼ばれるようになったのです。
わたしの子供のころは台風が1年に何個も通り過ぎました。
記憶が定かではないのですが、わたしが小学校4年くらいの時に来た台風11号のことはよく覚えています。
外は絶対歩けませんでした。
なぜなら街中トタンが飛び交っていたからです。
トタンと聞いてなに?と思うあなたはお若い方です、、、
家々にトタンの素材が使われていたのです。
そのトタンが台風の風で舞い上がりそして街中を飛んでいたのです。
今考えれば、すげーーーーー
の一言です。
そして親父と家の庭木が飛ばないように柱にロープで括り付けたのを思い出します。
それでも庭木はまるでひとりで風とダンスを踊っているかのように、、、、
いえ、そんな優雅なものではありません。
誰かに因縁をつけられてゆすられている感じが一番合っているかもしれませんね。
台風10号の影響はどうなのか?
わたしは始め台風のなか傘もささずに空港行の高速バスに乗り込もうとはりまや橋のバスセンターにやってきましたが、あいにくいつ運航できるかわかりませんという答えが返ってきました。
あちゃーーーー
タクシーで空港までの料金を調べたら約4500円します。
た、高すぎるーーーー
どうしようか?小型タクシーならもう少し安いかなーと考えていましたがすると目の前に空港行のバスが滑り込んできたのです。
うーー、ラッキー
これにはバスセンターのひともびっくりしたみたいでバスの運転手さんに確認していました。
どうやら台風になって初めての高速バスらしく本当に運が良かったと思ったほっしーでした。
感謝です!!
そしていま東京羽田空港行の16:20分の運航が決定をしたというアナウンスを聞きました。
その前に、もしかしたら台風の影響で羽田空港まで引き返すかもとアナウンスがあったのでした。
ひやひやもんすなーー
でも無事にこれをうれしい気持ちで書いています。
やはり高知県は遠いなーと感じた次第です。
以前は寝台列車で東京まで来たのです。
ガタンゴトンと体の痛みと引き換えに低い天井を見上げながら寝ながら旅したものでした。
もう少し前は、飛行機で東京に行けましたが、それもプロペラ機のYS11を使ってきたのです。
今考えれば私くらいの世代の人しか経験していませんね。
台風はいろんな思い出をわたしに与えてくれます。
自然が連れてくる風と雨の被害は甚大ですが、かんかん照りが続けば少々の恩恵も感じられますね。
こんなときにも川で釣りしていたひとがいましたが、絶対に真似しないようにしてください。
開運とは風を味方につけると龍神が来て応援してくれますよー